ご利用者様のお手紙
さいわい企画 杉浦様
主の御名を心より賛美いたします。
先日は母の告別式でお世話になり、ありがとうございました。
心から感謝いたします。また、早速、父と母の写真入りフレームを作ってくださり、感謝します。
先週初めまでは、母のCDの増刷やらで、忙しくときが過ぎて行きましたが、今になってからだの疲れとともに、さびしさが募ってきます。
天国へ行ったのはわかっていても、もう少し一緒にいたかった娘としての気持ちが残っているのでしょう。
でも、これも大切だった人との別れだからこそだと思って、このさびしさも受け止めつつ、大切なときを過ごしていきたいと思います。
杉浦さんはじめ、さいわい企画の方々、お一人お一人の働きに感謝しつつ、これからも多くの方々の慰めと平安と希望の場として、主に豊かに用いられますよう、心よりお祈りします。
主の真実はとこしえに変わらず、全てを主に感謝して。
中上祐子

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杉浦様
メールありがとうございました。
こちらからもお礼申し上げようと思っていたところでした。
奥様は体調が優れなかったそうですがそのような中、遠方から来てくださって本当に感謝です。
お疲れが出ませんようにお祈りしています。
本日の説明会はとても有意義でした。また杉浦さんの誠実でかつ的確な返答にある姉妹も感心していました。
他の業者さんの説明会も経験していますが、今回は皆リラックスしていたように思えます。
実は私たちの教会は、以前は近所の一般葬儀社を使っており牧師先生が一から十まで仕切ってくれていたので、大変なご苦労があったと思います。今後は新しい体制になり、キリスト教葬儀社にしてもらえると安心でもあるということで、私たち教会員も心しておかないといけないと思う様になりました。
クリスチャン新聞に掲載された杉浦さんの記事も読ませて頂きました。
大きな試練の中よくぞここまで導かれてすばらしいと感心しました。
同じ信仰をもった方に葬儀を取り仕切っていただけるのはクリスチャンであれば皆安心だと思います。
あとは教会員の個人的な考えによると思いますが年配の方たちは
腰も重くなかなか見積もりまで進めないかもしれませんがいざという時は
牧師の方から突然連絡が行くこともあるかと思いますのでその際はよろしくお願いします。
(M T)

クリスチャン新聞に掲載されました 2008.12.7

キリスト教式の葬儀を専門に手がける「クリスチャンセレモニーさいわい企画」が、愛知県春日井市にある。同社の代表、杉浦寿さんに創業の経緯と今後の展望を聞いた。
杉浦さんがさいわい企画を立ち上げたのは、今年の7月。これまで医療事務や音楽関係の出版社での編集、タクシードライバーなどいくつかの仕事をしてきたが、東京に住んでいたドライバー時代に、職業病といわれる肺血栓を患った。
「一時は生死をさまよい、療養生活をしばらく送りました。その時に『ああ、生かされている』と実感しました。」折しも、クリスマス時期。病床から送った懸賞で、教会主催のコンサートが当たり、妻の明世さんと出かけた。「幕間にある牧師のメッセージを聞いて、もっと神様を知りたいと思いました。」早速、地域の教会のいくつかにメールを送った。「結果的に早く返事をくれた教会に通い、イースターには受洗しました。」その後、病気が再発。再発すると生存率が50%以下といわれる病だが、治療のおかげで回復した。
「この生かされた体を神様のために用いられたいと、献身を決意しました。」アルバイトしつつ、神学校の聴講生に。そして、牧師に紹介された葬儀会社でフルタイム働き、神学校では正課生になった。
しかし、今度は椎間板ヘルニアにかかり、神学校での学びも断念せざるを得なくなった。「一歩も先が見えない中で、神様から示されたのが、生まれ故郷で葬儀社を立ち上げること」だったという。「葬儀社は御言葉を取り次ぐことはできないが、故人の最後の思いを葬儀を通して伝える助けにはなれると思ったのです」。また、以前に東京で葬儀会社に勤めていた時代、最後のお別れという状況だけに、「参列者の心にメッセージがストレートに届いている」という経験を何度もしていた。示されて数ヶ月。「神様は備えてくださっていた」と語るように、葬儀社に必要な花屋や棺など取引業者との契約も順調に整った。
開業にあたり、個々人の経済状況に合わせた葬儀プランを作るなど、以前の経験を生かしてさいわい企画の独自色を打ち出す。
「前夜式をやり、献花、遺影も必要と思い込んでいる方も多いです。しかし、天に召された方とのお別れの式。ならば、『最後の証の場』として捉えてもよい。何よりも、神様が中心にいる葬儀をと考えています」と杉浦さん。
また、クリスチャンでない人の葬儀も依頼があれば受け入れている。「東海地区は寺も多く、仏教徒も多いですがそういった方々に、死の先にある希望と共にいてくださる神様を伝えるよい機会でもあります。福音に触れ、キリストにつながるお手伝いを葬儀社という立場からできればと願っています。
その一助として、「私のエンディングノート」を同社では配布している。「日本では死をテーマにする話は敬遠されていますが、いずれはだれもが通る道。キリスト教こそが打ち出せる死生観と復活の希望を伝えられるのが牧師。家族、あるいは教会でそれらを話し合うきっかけになればとも思うのです」とエンディングノートについて話す。「様々なかたちで教会と協力関係を築いていきたい」とも。
牧師への道は開かれなかったが、「一番苦しく、また悲しいところにイエス様が愛を注いで手を差し伸べてくださったように、教会と一つ思いになり、この地域に使える思いでこの働きを進めていきたい。中部、北陸、呼んでくださいましたらどこでも行きます」と。

ご利用者様のお手紙
主の御名をあがめ讃美申しあげます。母の葬儀には多大な御ちからをおかし下り、またたいへん親切に葬儀をはこんで下さり誠にありがとうございます。母は昨年の八月二十九日にころんでしまい、肩と足の骨を折ってしまいました。肩の骨はボルトで固定する手術を受け、入院は三ヵ月近くかかってしまい、それでもリハビリをがんばり一人でつえをついて、少しずつ歩けるようになりました。病室では、人気ものになっており退院の日は八人部屋の八人で記念写真をとっていました。年が明けて一月からは、デイサービスも受けられるようになり、楽しみにしていた矢先のことでした。三人は夕食を食べていました。「今日はおいしいね」母が言いました。「やっぱり寒い日は鍋がいいね。」「今日はお風呂に入るか」K子が聞きました。「今日はやめとくかな」と言って「少しつかれたから寝るわ。」「一人で着替えられるか?」K子が聞くと「だいじょうぶだあ」と笑って答えていました。K子が台所で後片付をしていると、「あっしりもちついちゃった。」「だいじょうぶ」パジャマに着替えて「今日は早く寝るは」と言い横になりました。私は今日は休日だったので、二階でテレビを見ることにしました。少し時間がたちました。「K子さん、K子さん」と呼ぶような声でK子を呼びました。私もおどろいて下へ降りて行きました。「少し気もちがわるい、T司バケツもってこい。」K子が洗面器をもってきて母の背中をさすりながら「どうした、どうした」私は何もできず見ているだけでした。すると食べたものを少しもどしました。「少し楽になった。」「だいじょうぶか。」「ばあちゃん。」「うん。」「T司も明日仕事だし早く寝なさい。」「どうしたのかな、かぜでもひいたのかな?」「ばあちゃん明日になったら病院へ行こうね。」「だいじょうぶだよ、T司は明日仕事だろ。それに手術をしてT司たちにもお金いっぱいつかわせちゃって」「ばかだな。病院代は今どんなかたちでも支払っておけば高額医りょう費でいつかもどってくるよ。」「でもそれまでT司や子さんがたいへんじゃないか。」「そんなことは考えないで、少し休んだほうがいいぞ、それに、おれは明日夜勤だよ。」「じゃ寝るか」私とK子は二階へ上がりました。しばらくして、少し心配になり母のところへ行きました。「だいじょうぶか」「うん」「明日、病院へ行こうね。」少し時間がたちました。下から「K子さん」と呼ぶ声が聞こえました。母は「苦しい」と言い、K子は母の背中をさすってくれていました。すると「すう~」「すう~」と寝いきがきこえてきました。私は救急車をよぼうと思いましたが、救急車を気軽によぶことが問題になっているので気がひけてしまいました。母は小さな声で「おかあちゃん、おかあちゃん、おかあちゃん」と言い静かな寝いきをたてて寝むってしまいました。「もう寝ちゃった。」「Tっちゃん明日、病院へ連れて行こうね。」「うん、でも楽になったみたいだね。」私たちは二階へ行きました。心配で少し時間がたっていたのでおばあちゃんのところへ行きました。す~す~と寝むっていました。私達は二階でテレビを見ていました。K子が「ばあちゃんみてくるわ」「おれどうせトイレに行くからみてくるよ。」母の顔を見ました。少し横を向いていました。「ばあちゃんだいじょうぶか。」熱がでているのではないかと思い、ひたいに手をあててみました。暖かくないのです。首すじをおさえてみても動いていません。顔をばあちゃんの口にもっていっても息はしていません。「たいへんだ。」「K子,ばあちゃんがおかしいぞ、すぐ119番するんだ。」119番に電話するとどのような常態かと聞かれました。「脈拍も呼吸もありません。」「そうしたら乳首と乳首の中心に両手をあてて、ふとんの上ではなく、かたいところで胸を押して下さい。すぐ救急隊が向かいます。」私とk子は母をふとんからおろし、母の胸を押していました。しばらくして救急隊の人達がきて下さり、電気ショックで心臓を動かす機械を使って母の心臓を動かそうとして下さいました。私は母の死ということは頭の中にありませんでした。また病院へ入院して治って、私達と暮らせると思っていました。着いた病院は八事の第二日赤病院でした。母はすぐ病室に入れられました。私達は待合室でまっていました。すごく長い時間に思えました。アナウンスが入りました。「K田H子さんの御家族の方、5号の診りょう室にお入り下さい。」そこにはベットに横になっている母がいました。人工で心臓を動かす機械がつけてありました。私達は母は生きていると思っていました。母は寝むっているようでした。病院の先生は「心臓は動こうとしています。でも心は止まっています。」また長い時間が、たったような気がしました。「機具をはずしてよろしいですか」先生はおっしゃいました。「全く心臓は止まっています。」先生は機械をはずしました。「午後10時40分、御臨終です。」私たちは母のその美しくなっていく顔をみつめていました。その後病院の先生は一礼をして出て行かれました。その後、看護師さんがいろいろ気を使って下さって、お世話をして下さいました。「こちらの病院でも葬儀の車の手配ができますが。」私は気がつきました。「そんなお金はないのに。」私は思わず教会へ電話をしてしまいました。私も毎月送って頂いている週報で牧師館が工事中のことは知っていました。でもどうしようもなく電話をしてしまいました。「今母が召されました。先生どうしたらよいでしょうか。」「そうですか、今牧師館の工事中でどのようにしたらよいのか。」「すみません。いつも教会に御めいわくばかりかけてすいません。」「少しまって下さい。」M谷先生は、おっしゃって下さいました。私は車はありませんので母をどのように家まで連れて行くか、そうだ、息子のS司の車で連れて行こう。でも連らくはとれません。娘の麻美がきました。私とクミ子と麻美では車に乗せる事はできません。私はどうしよう。母の召されたさみしさよりどうしようかでした。「こちらで御用意しましょうか?」看護師さんの声がきこえました。どうしよう頭の中はそのことでいっぱいになってしまいました。私の電話がなりました。「私くしクリスチャンセレモニーさいわい企画の杉浦ともうします。今そちらの病院へ向かっています。途中でドライアイスを買って行きますので、少し時間がかかるかも知れませんが、病院と連絡をとっておりますので私がつきましたらお電話します。」私はびっくりしました。ほんとうにびっくりしました。どうしてよいのかわからない私達に始て聞く声でした。私には何もわかりませんでした。また私の電話がなりました。教会のM谷先生からでした。「今そちらに杉浦さんという方がいかれますのでその方におまかせ下さい。」「すみません。」私はそれ以上何も言えませんでした。私はどれだけ神様、神様に教会、教会員の皆様にごめいわくをかけているのか。待合室で待っていると、看護師さんが「こちらへ来て下さい。」そこにはとてもきれいな車の中で寝むっている母がいました。「こんなきれいな車に乗せてもらって。」私もその車に乗せていただいて家に母をつれていただきました。親切な運転手さんと杉浦さん、私とで母をいつも寝ているふとんに寝かせることができました。運転手さんは深く頭をさげられ帰っていかれました。母は寝ていました。いつもとおなじように声をかけると「ふん」と返事をするようでした。杉浦さんはまるで自分の母親にふれるように母のひたいに手をあて聖書はありますか、母のまくらの上には聖書がありますがほこりがたまっていました。杉浦さんはほこりを払い「お母さんのお好きだった聖句はありますか」と聞かれました。私は昔母が父に詩篇の23篇を書いてもらって壁にはっているのを想いだしました。私は「確か詩篇の13篇主はわが牧者なり。という聖句だったと思います。」杉浦さんは「あっ詩篇の23篇ですね。」と言ってもってきて下さった小さなテイブルの上に聖書を開いて置いて下さいました。そして「ドライアイスを入れますから少しかわいそうな気がするかも知れません。よその方を向いてて下さいね。」気がつくと母のおなかや、わきにドライアイスをおいて下さり、ふとんをかけて上からビロードのようなりっぱな十字架のついた布がかかっていました。「明日九時に私が、M谷先生をおむかえに行ってきますので。」と言いお祈りをして下さり帰っていかれました。私たちはゆめでもみているかのように寝ている母の顔を見つめていました。よく朝、M谷先生と奥さん、そして杉浦さんが来て下さいました。どのように葬儀をするか、私は家から八事に行ってそれから教会で葬儀をしていただこうと思っていました。杉浦さんは「教会ではできませんか」「いっこうにかまいません。むしろ教会で葬儀をしたほうがよいでしょう。」とおっしゃって下さいました。私は私はどのくらいかかるのだろうと不安でした。先生の奥さまは「教会はお金はかかりませんよ。」とおっしゃって下さいました。杉浦さんは「予算はどのくらいですか。」と聞かれました。私達にはお金がないので「できるだけ、お金のかからないようにしてもらいたいのですが」「わかりました。」「葬儀で一番かかるのは人件費です。この家から教会までお連れするとまたお金がかかります。どうですか、私の車で行きましょう。」「そんなことしていただいてよろしいのですか。」私はびっくりしました。「かまいません、私は今から区役所へ行って手続きをしてきます。八事は今いそがしいから私は春日井のほうがよいかと思います。」と言うと杉浦さんは出て行かれました。私は杉浦さんは寝る時間があったのかなと思いました。夕方になり杉浦さんがきて下さいました。母の寝むっているシーツの下には手をかけるひもがついていました。杉浦さんは「そことそこをもって下さい。」言われるとおり、私とS司、K子、A美で母をもちあげせまい玄関から、杉浦さんの車に乗せることができました。杉浦さんの車で母と私が乗せてもらいA美とS司とK子で教会へむかいました。すると教会では母のいるところがもうありました。何年ぶりに教会へこれたのだろう。心が暖ったかくなりました。まるで新築する前の始めて私たちが教会へこられるようになったときによく似ていました。母はまるで自分のお父さんやお母さんに逢ったようにうれしそうな顔をして寝ているようでした。するとなつかしく想える教会員の方々が葬儀の準備をして下さっていました。私は教会員の人達に「いつもこんなときだけで申し訳ございません。」教会員の方々はとてもやさしく言葉をかけて下さいました。母の前夜式が始まりました。私の耳に賛美歌が聞えてきました。(はるかにあおぎみる、かがやきの御国に、ちちのそなえましし、楽しき住みかあり我ら、ついにかがやくみくににて、きよきたみと、ともにみまえにあわん)M谷先生が聖書を学ばせてくださいました。ヨハネの福音書14章の1~4節、私の母にも行くところがある母はそこで幸せに暮らせると心の中で確信いたしました。葬儀式もM谷先生、教会員の皆様そして杉浦さんのおかげで心にのこる葬儀をしていただき、私は母は神様の御国に入れていると思います。春日井の火葬場でも、杉浦さんやスタッフの女性の方のおかげでほんとうにやさしい心で接して下さって、誠にありがとうございます。私は教会をはなれていました。でもこれからは神様にこの御恩をお返しして行こうと思います。何年かかるかもわかりません。でも、神様を中心とした生活にもどそうと思っています。仕事で毎週教会へ集えないのが悲しいですが。いつの日か毎週集えるようにとお祈りしています。K子はばあさんの遺骨のまわりを毎日花で満たしてくれています。ほんとうにありがとうございました。神様、教会、教会員の皆さん、そして杉浦さん、誠に感謝しております。ありがとうございました。仕事の都合で一日も休みがなくなり、お手紙が遅くなってしまいすいません。これからもおつきあい願います。手の骨を折ってしまい読みにくい文字ですいません。たいへん寒くなってまいりましたがどうか御自愛下さい。
T.K K.K
